ポール神父と会の創立に対して

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聖公会の司祭を父としてアメリカ・メリーランド州で1863年に生まれ、平和で宗教的な環境に育まれ、若くして聖公会の司祭に叙階されたルイス・トーマス・ワトソン、後のポール神父は、幼いころから十字架への崇拝を欠かさず、キリストのあがないの中心的な行為にちなんだ名前を持つ、修道会を設立する夢を持っていました。1893年ポール神父はイエス・キリストの最も完全な模倣者であるアシジの聖フランシスコに倣い、欽定訳聖書を3回紐解き、神の意向を確かめようとしました。その時開いたローマ書5章11節の「アトンメント」の文字を目にした時、彼は神ご自身が与えてくださった名称であることを確信しました1898年10月、ポール神父はそれまでの2年にわたって同じ夢、希望を文通によって確かめていた、ルレーナ修道女(のちのアトンメントのフランシスコ会女子修道会創立者)と初めて出会い、共同で清貧を守り、すべてのキリスト教会の一致のために働く修道会の創立について話し合い、アトンメントのフランシスコ会の実現に向けて歩み始めたのです。同年10月7日、2人はそれぞれの十字架を交換することによって、神聖な契約を交わしました。この十字架は彼ら自身を神の御手の中に完全に捧げることを表わすものでした。この「10月7日」を「契約の日」として、アトンメントのフランシスコ会は記念して祝うようになり、現在にいたっています。1899年秋、ニューヨーク市北部のハドソン川を見下ろすグレイモアという小高い丘のボロボロのペンキ小屋で、ポール神父は幼いころから夢を見てきた修道会の実現に向けて歩みはじめました。同年10月3日、ハドソン川を見下ろす眺めの良い山頂に立ったポール神父は、その山を「アトンメントの山」と名づけ、神に奉献したのです。翌1900年6月14日キリストの聖体の祝日にポール神父は山から切り出した杉の木で大きな十字架を作り、自ら運び、山の頂に立てました。この十字架は「キリストの聖体の十字」と呼ばれ、今日も立っています。同年10月、ポール神父はアトンメントのフランシスコ会の基礎を聖ペトロの巌上に建てることを公に宣言しました。このとき以来、キリスト教一致についての説教が聴かれるようになりました。次第にローマ・カトリックの教義の有効性を認めるにあたって、1909年10月30日、アトンメントのフランシスコ会は教皇ピオ10世に団体としてローマ・カトリック教会への受け入れを受理されました。

1908年にポール神父によって始められた「キリスト教一致祈祷週」は1月18日の聖ペトロの祝日(現在では2月22日)から1月25日の聖パウロの回心の祝日までの8日間を祈祷週間と定められました。その後1916年には教皇ベネディクト15世によって全世界の教会にキリスト教一致祈祷週間の遵守を命じる教書が公布されました。第二バチカン公会議の約半世紀前に「1人の羊飼いに導かれ、ひとつの群れになる」(ヨハネ10:16)を目標としてエキュメニズムを第一の教義としたポール神父にはまさに天賦の預言職があったというよりほかなりません。